東京は、思い描いていたよりもずっと混沌としていた。調味料をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたスープのように、色んなものが溶け合っている。ハイテクとローテクが同居して、輝くネオンの夜景の足元には吐瀉物がこぼれている。
思い描いていた、都会的なイメージ、例えば突き立つビル群、整然とした道路とか、そういったものの影に、横に、隣に、上に、何かしら予想外に汚らしいものがあったりした。
「(東京には、キレイなものしかないんだと思ってたのかもしれない)」
妄想で作り上げた『東京』は、恥ずかしいくらいにキラキラしていた。だけどここには、とにかく色んなものがあって、それぞれが思いもよらない繋がりを持っている。だからこそ、混沌と色んなものが溶け合っている。色んなものが集まっている。
東京は、何でもあるから欲しいものを見つけにくい。けれど何にも無いから選択肢も無い僕の故郷よりは、良いのかもしれない。
「泣くと思った」
寝ていると思っていた臨也さんが、ふと横でそう呟いた。僕はゆるく寝返りを打って、臨也さんの方を向く。
「というか、泣かせにきたんだけどな」
「ご期待に添えませんでしたか」
「うん。君、笑ってたもん」
そうでしたか?と聞くと、それはもう、と臨也さんは答えて、僕に手を伸ばす。僕は大人しくその手に引き込まれた。臨也さんの肌はもう既に汗が引いていた。
「僕を泣かせたかったのなら、殴ったりすれば良かったじゃないですか」
「帝人君は悪趣味だねえ」
臨也さんが笑って、僕を抱きしめる。大人の男の匂いがして、僕はこの整合性の無い関係に、東京の混沌を感じる。臨也さんはどうしようもないほど僕が好きだ。だから、こうして僕はこの男を知ってしまった。
東京が用意した無数の選択肢の中から、まったく予想しえなかったこの現象は生まれた。期待していた通りの非日常でもなく、期待していた通りのキレイな恋でもない。この人は僕を幸せにしようとか露ほども考えていないし、僕もこの人と幸せになりたいとはあまり思えない。
「臨也さんはキレイですね」
顔を見て、僕はそう感想を告げた。臨也さんは、特に返事をしない。そんなこと、わかっているからだろうか。臨也さんはキレイだ。見目麗しい。僕には分不相応な感じがするけれど、連れて歩くと周囲の視線を集めるその容姿には、美人という言葉が似合う。
だけど、この人は恐ろしい人だ。おぞましいほどに、彼は男だった。泣かせにきた、という言葉はおそらく本当で、確かに普通だったら泣いていてもおかしくないようなことをされた。非日常ではあったけど。
思い描いていた、恋のイメージに、この体の激痛は似つかわしくない。ああ、こんなものなんだなあ、というのが素直な感想で、でもこの経験はおそらく世間一般の恋とか愛とかそういうのの中では異端なそれなんだろうなあ、という気もしていた。
でも、僕に選択肢は無かったわけじゃないし、これもまた混沌の中の一部なんだ。臨也さんもそうだ。とにかく色んな面があって、そして想定外の正体を持っている。
「帝人君、こっちには慣れた?」
「何ですか、いきなり」
「何って、ピロートークだよ。付き合ってよ世間話に」
「はあ…まあ、それなりに」
適当に話を合わせてみると、臨也さんは不満そうにしながらも、世間話を続けた。
「こっちの生活は楽しい?」
「…楽しいですよ。知り合いにレイプされたりしますけど」
親みたいな質問に返すと、臨也さんはとても楽しげにくすくす笑って、君のご期待に沿えたかな?と意地悪そうに言う。僕を抱きこむ臨也さんの腕の力が強まって、すっかり冷えた肌と肌が張り付く。僕は混沌に引きずりこまれたかのような心持だった。
自分がいつまでここに居るのかはわからないけど、僕もそのうち、この人みたいに東京の一部になるのだろう。東京は、どこから切っても多様で、不安定だ。僕もその中に取り込まれていくんだろう。
思い描いていた、キレイなものがひしめく東京は無い。けれど、都市伝説が闊歩しでまかせが実態を持ち、金魚が鮫になるような不可思議な場所に、僕は溶けていくのだと、臨也さんの肌の感触が、確信させた。