映画デートをするカップルの八割が、羽島幽平主演の映画を選んでいるらしい(大衆GAO調べ)。羽島幽平がことごとく話題の映画の主演をもぎとってしまうので、それも仕方ないように思う。

現在公開中の映画も、やはりヒットしていて、連日CMが打たれ週ごとに発表される観客動員数を膨らませていた。原作は小説で、僕も臨也さんもそれを読んだこともないし、特に興味のある話でも無さそうだ。だけど「とりあえず見とく?」と臨也さんが言うので、首を横に振るのが面倒だった僕は、重力が勧めるとおりに、首を縦に振った。

ただ、そういう興味のない映画に望む姿勢というのは、臨也さんも僕も似たようなものだった。待ち合わせの場所に現れた臨也さんはどこからどう見ても眠そうで、二徹はしていた。対して僕も、前日に夜遅くまでインターネットにかまけていたため、とにかく眠たかった。

お互いにそんな状態のまま映画館のシートに座る。照明がついている内はまだ良かったが、照明が落とされて大画面のスクリーンが降りてきた直後に、臨也さんは寝た。隣に座っていれば、息のリズムでわかる。もともと起きてる時も、猫みたいに浅い息の人なんだけど、寝る時は本当に潜めた息遣いになるんだなあ、と思った。寄り添ってないとわからないくらいだ。

僕はといえば、頭の中をぐるぐる泳ぐ睡魔と必死に戦っていた。レイトショーだからといって、千数百円も出して寝るというのは僕の損得勘定から言えばいただけない。しかも人のお金だ。閉じそうになる瞼に抗いつつ、羽島幽平演じる、美貌の文学青年を鑑賞する。

アクション映画だったら、光が大量に瞬くし音も派手だったからマシだったかもしれない。だけどこの映画は生憎青春映画的な色が濃く、画面は雪景色が主だ。スクリーンから間接照明のように零れる暗い光は、僕の頭の中の睡魔をより活発にさせた。

映画が開始されて、二十分ほどが経った。大画面で見る羽島幽平は、やっぱり非の打ち所がないほどにかっこいい。美しいの域だった。美形は本当何してても様になる。嫉妬すら沸いてこない。しかしどんなに羽島幽平がかっこよくっても、画面の移り変わりが激しくなっていくと、瞼がとたんに重く感じられた。

そろそろ限界かなと思っていた折に、ごつ、と肩に何かあたった。

「……?」

臨也さんだった。正確に言うと、臨也さんの頭が、僕の肩に乗っている。顔を覗き込むと、息が浅いままで、しっかり寝入っていることがわかった。臨也さんの髪は、館内のわずかな光を反射して、つややかに線を描いている。至近距離の臨也さんの顔に見惚れる。白い頬に、雪の降るスクリーンの映像が、水で溶いて滲ませるみたいにして、ぼんやり映し出されていた。

「(きれいだなあ)」

息をしているのかも怪しいほど、臨也さんは肺の動きを体に響かせない。まるで静止画のようだった。スクリーンに映った羽島幽平はかっこよかったけど、僕の肩で眠る臨也さんが、僕の視界一杯を占めてしまって映画どころじゃなかった。その上、映画を彩る現代クラシック的な音楽が加勢したことで、僕は結局、眠ってしまった。



映画の本編が終了する間近に、僕はようやく目覚めた。目の前のスクリーンには、黒地に白字でスタッフロールが流れている。ほとんどの観客が帰り支度を始めていた。ばたばたと場がざわつく。その中でも、臨也さんは僕の肩に頭をのせて、眠っているフリをしていたので、僕もそれに気づかないフリをしながら、スタッフロールの白字を傍観した。

監督の名前がスクリーンのてっぺんに消えていくころ、臨也さんが僕の肩から離れていった。髪を手櫛で直し、僕に何も言わずシートから立ち上がる。僕もそれを追って、立ち上がった。シートに残っていたのは僕らだけで、劇場から出た物販にはまだ羽島幽平ファンであろう女性たちが、映画のパンフレットなどを買っていた。

臨也さんはその横をさっさと素通りする。僕はちょっと足を止めたけど、途中までしか映画を見ていないし、買うのはやめておいた。臨也さんに到ってはおそらく映画の上映中、二時間まるまる寝ていたから、余計買う気も起きないんだろう。

映画館から出ると、臨也さんは「何かつむじが痛い」と言っていた。僕が寝こけた時、臨也さんの頭の上に頭を乗せちゃったからかなと思ったけど、黙っておく。臨也さんが小さくあくびをして、それがうつって僕もあくびをする。僕も臨也さんも、映画を寝ていたことについても寝たフリをしていたことについても触れない。

「どうする?ご飯行く?」

臨也さんが聞く。映画の後に食事。デートの定番だろう。でも、そう質問する臨也さん自信が、お腹をすかせているようには見えなかった。

「実は眠くって、あまり食べるって感じじゃないです」
「ああ、俺も。どっちかっていうと、飯じゃなくて睡眠を貪りたい」
「確かに……」

帰って寝よっか、と臨也さんが言って、僕は、ですね、と返す。直後に、今度は僕があくびをして、それがうつったのか臨也さんもあくびをした。気の抜けた僕達は駅の改札で別れて、それぞれの家に戻る。

帰ったら、臨也さん即効寝るんだろうなあと思いながら、僕も寝ようとしたけど、布団を敷くのも面倒くさい。結果、畳の上に直接横になった。目を瞑って再び睡魔が頭の中を泳ぐのを感じながら、ふと考える。

「(僕、今日何しに行ったんだろう)」

映画デートをするカップルの八割が、羽島幽平主演の映画を選んでいるらしい。でも今日の僕たちは、果たしてカップルだっただろうか。カップルというよりもデートという体裁にもなっていなかった。僕と臨也さんって、なんなんだろう。答えを出すのが面倒くさくて、僕は思考を中断して、睡眠に集中した。



足りない睡眠を必要量補うと、自然と目が覚める。何時だろう、と気になって、机の携帯をとろうとごろんと体を捻ると、首元にびきっと痛みが走った。首をうまく動かせない。

「うわ……寝違えた……」

首元に手をやる。そして首を動かさないように、そーっと起き上がった。首が曲がらないので、周りを見ることに不自由しながら携帯を見つけて、液晶を確認すると朝の八時になっていた。
今日は日曜なので、二度寝しても良いんだけど、目を閉じても睡魔が見当たらない。諦めて起きて、畳の上でぼーっとした。首の後ろが重く感じて、身支度をするのも億劫に感じてしまう。

そういえば昨日は映画のお礼も言わずに別れたので、遅まきながらメールを打っておこう、と携帯でメール画面を開いた。けど文章を作ろうとして、行き詰る。何て書こう。昨日は楽しかったです、はおかしい気がする。僕も臨也さんも、始終寝てただけで、大した会話もしていないし。

とりあえず「昨日はありがとうございました。よく眠れましたか?」とだけ打って送った。それから僕は首の痛みに耐えながら顔を洗った。軽く朝食をとったりした。臨也さんは昨日はこの上なく眠そうにしていたから、返信は期待していなかった。だが、それほど時間も経たないうちに返信が来た。

『寝違えた』

メールにはそれだけが書いてあって、僕は歯磨きを口に咥えたまま、携帯の文字盤を押す。

『偶然ですね、僕も寝違えたんですよ』

送信ボタンを押してから、口をゆすいだ。少しでも首を傾けると、首筋がびきびき痛む。手で触ると、そこだけ筋肉の出来が違うような、かちこちな感触がする。やっぱり枕もしないで寝たからかな、と後悔していると、メールの返信が来ていた。

『もしかして枕変えた?』

ああ、臨也さん枕変えたんだなあ、と僕は思う。臨也さんの寝室に入ったことはないから、過去にあの人がどんな枕で寝ていたか知らないし、今どんな枕なのかも知らない。昨日、初めて臨也さんの寝顔を見た。

というか、僕は臨也さんの住んでいるところ(聞くところによると、事務所兼住宅らしい)にも行ったことがない。名刺を貰ったことがあるので、住所はわかるんだけど、特に訪ねる用もないので、外観すら知らない。

『変えてないです。枕が合わなかったんですかね』

僕と臨也さんは、手を繋いだこともない。その前に告白されたこともない。僕達は、カップルではない。単に、映画デートをするカップルの八割が選んでいるらしい羽島幽平主演の映画を、二人で見ただけにすぎない。正確に言うと、二人して寝てたから、見たわけでもない。

ないない尽くしで、僕と臨也さんって、なんなんだろう、と再び考える。誘われて、二人で映画を見たりするし、ご飯も食べる。デートだとはっきり明言されたこともあったけど、そうでもなさそうな時もある。
付き合ってなくても、デートぐらいするだろって、以前に紀田君は言っていた。そうだとは思う。僕と紀田君は友達だけど、二人で映画を見たりするし、ご飯も食べる。

「(けど臨也さんは、何か違うんだよ……)」

どうにも説明できなくて、僕は答えを出すのが面倒くさくなってきた。首が痛いし、と思考を放棄していると、また返信が来た。

『帝人君の肩は結構よかったんだけど』

一文を見て、何の話だろう、と首を傾げそうになり、痛みに顔をしかめてしまう。首をさすりながら、枕の話ということを思い出す。そういえば、この人は人の肩でぐっすり二時間寝ていたんだった。

『臨也さんのつむじも結構よかったですよ』

眠かったというのもあるけど、昨日は中々に寝心地が良かった。柔らかいシートに、適度な室温、眠りに誘う現代クラシックに、臨也さんのつむじを枕にして、僕も一時間以上は寝ていた。僕も臨也さんも、不自然な姿勢だったっていうのに、寝違えることもなかったなあ、と思った。

メールを送信し終えると休日ということもあり、特にすることがなくなってしまった。洗濯物も溜まっていない。僕はパソコンの電源ボタンを押して、起動までの時間つぶしに読みかけの大衆GAOを開いた。

映画特集のページに、映画デートをするカップルの八割が、羽島幽平主演の映画を選んでいると書かれていた。その横に、同じく映画デートをするカップルの八割が、聖辺ルリ主演の映画を選んでいるという記事も掲載していた。
現在上映中の聖辺ルリ主演の映画は、聖辺ルリ演じる女性が死んでゾンビになって襲ってくるという猟奇ホラーだ。カップルで見るものなのかなと記事に首を傾げそうになって、寸でのところで思い留まる。

映画特集のページを読み進めていると、携帯にメールが返ってきた。

『次会った時、仕返しにつむじ凄い押したげるね』

そんなにつむじ痛かったのだろうか。そんな臨也さんのメールが示唆する「次」は、もしかして、さっきの聖辺ルリ主演の猟奇ホラー映画なのかもしれない。猟奇ホラー映画を見た後も、食事は無しになりそうだと、痛い首をさすりながら思った。