最近、よく見かける猫だった。

「(あ、また居た)」

一匹の猫が、僕の前の道路を通り過ぎていく。ここのところ、よくアパートの近所で姿を現す猫だ。猫のテリトリーと僕の行動範囲が被っているのか、登下校中にすれ違ったり、目の前を横切っていく。たまに歩道橋の手すりや、路肩の看板の上にも居たりする。

その日も目の前をてこてこと歩いていく、その白い猫を眺めた。首にピンク色のリボンをしているから、どこかの家の飼い猫なのだろう。最近、飼い主とともにここ池袋に越してきたのかもしれない。

僕が見ているからか、ご近所さんかもしれない猫はふと立ち止まってこちらを見た。僕は少し期待して控えめに手招きをする。

「お、おいで」

けれど猫はすぐに方向を変えて、さっさとその場を立ち去っていく。猫に振られた僕は、やっぱりダメかあ、と手を引っ込めた。顔を覚えられてはいると思うんだけど、触らせてはくれない。

「(一度くらい撫でたいなあ)」

猫の後姿を見送りながら、僕は引っ込めた手をさらにポケットにしまいこんだ。


その、翌日のことだった。

「あ、猫」

一緒に僕のアパートに向かっていた臨也さんが、指を指す。彼の細い指は、道路の端を歩く猫を向いていた。臨也さんの声に気づき、猫は一度こちらを振り返る。

「最近よく見かける猫なんです」
「へえ」

こちらを振り返ったまま立ち止まっている猫に、臨也さんが近寄っていく。猫は初めて見る臨也さんに警戒しているのか、彼の動きをじっと見つめていた。

「おいでー」

臨也さんが猫の目線に近づくようにして地面にしゃがみこむ。そして手のひらを猫に差し出して、手招きをする。猫はまだ臨也さんを見ていた。どうせ来てはくれませんよ、その子懐かないんですと言おうとした瞬間に、猫がそろりと一歩足を踏み出す。音もなくてこてことこちらに向かって歩いてくる猫が、臨也さんの手のひらに頬をすりつけるのにそう時間はかからなかった。

「人馴れしてるね」

臨也さんは慣れた手つきで、猫の顎をくすぐる。ごろごろと猫の喉が鳴る音がこちらにまで聞こえてきた。何度か顔を合わせていた僕には一グラムの愛想も振らなかったというのに、初対面のはずの臨也さんに対してのその態度はなんなんだろう。これがイケメンパワーなのかな、と僕は少々僻んだ。

撫でるだけでは飽き足らず、臨也さんは猫を抱っこして立ち上がる。大人しくに腕の中に収まった猫に、臨也さんはまた「馴れてる子だね」と言った。猫を抱えるその一連の動きも慣れがにじみ出ていて、もしかしたら臨也さんは猫を飼っていたことがあるのかもしれないと僕は感心しつつ見ていた。

抱っこされた猫は、臨也さんの腕の中で撫でられてもいないのに喉をごろごろと鳴らす。猫が馴れているとかじゃなくて、単に臨也さんが猫たらしなんだ、と僕は思うことにした。ただ仲良くじゃれる一人と一匹を眺めていると、臨也さんが抱いたままの猫を僕の方に寄せてきた。

「ほら、頭撫でてみなよ」
「えっ、いいんですか?」
「いいに決まってるでしょ。ほら、馴れてるし」

猫は臨也さんの腕の中で目を閉じていて、完全にリラックス状態だった。僕は手の伸ばし、さわさわと臨也さんの黒い髪に触れた。つやつやしているのは見た目からわかっていたけど、いざ触ってみると細くて猫っ毛のようだった。
臨也さんは僕より背があるから、僕は少し背伸びをしなくてはいけない。けれどそれも長くは続かずに、足が疲れる前に手を離し、踵を地につけた。

「ありがとうございます」
「……うん」

臨也さんが抱く力を緩めると、猫はにゃーんと一回鳴いてから臨也さんの腕を踏み台にして華麗に飛び降りた。そして数メートルてこてこと歩いてから軽く振り返り、すぐにツンとして建物と建物の隙間に消えていった。

「行っちゃいましたね」
「そうだね」
「一度くらい撫でたかったなぁ」

猫の居なくなった道を二人で眺めてから、臨也さんを見返す。臨也さんの黒い上着には白い猫の毛が盛大についていて、僕は笑った。