「今日のお味噌汁、睡眠薬いれてみたんですけど、どうですか?」
「あ?」

今日の味噌汁、お出汁変えてみたんですけど、どうですか?みたいな口調で、竜ヶ峰は言う。

俺は残り4分の1くらいの味噌汁を飲んでみる。何の変哲もない、鰹ベースに白味噌の味噌汁だ。茶碗を空にしてみせると、竜ヶ峰は即効性らしいんですけど、と控えめに言う。

「眠たくならないんですか?」
「いや…ならねぇな…」
「そうですか…」

竜ヶ峰が、気落ちしたような声を出し、俺は申し訳なく思った。
どういう理由で俺の味噌汁に睡眠薬を入れたのかは知らないが、おそらく通常の用量を入れたんだろう。致死量レベルぐらい入れて貰わないと、俺の体には効果はない。

「ごめんな」

竜ヶ峰の期待に添えなかったことがすまなくて、俺は箸を置いて謝った。竜ヶ峰は驚いて、持ち上げていた餃子を箸ごと落とし、謝らないでください、すみません、と謝り返した。

「…あ、俺寝とくか?その方がお前都合良いんだろ?」
「え…でも眠たくないんですよね?悪いですよ」
「いや、これ食った後、横になるだけだろ」

俺と竜ヶ峰はそんな会話をしながら、竜ヶ峰が一つ一つ丁寧に包んだ手作り餃子を食べていく。

結局、俺は食後に寝ることになった。竜ヶ峰の部屋は狭いので、無駄に上背のある俺は横になるだけでも邪魔になる。そのため、壁に寄りかかって座って寝ることにしよう、と二人で話し合った。

お互いに皿も茶碗も空にした後、ご馳走さまをして、竜ヶ峰はシンクで食器を洗い、俺は目を閉じた。普段はご馳走に預かる俺が食後の洗い物を担当しているので、少し悪いな、と思いつつじっとしてみる。

普段は夕飯を食ったら皿を洗って、少し二人でテレビを見たり話をして、21時ごろにはこの部屋を出る。明日が休日だろうと、祝日だろうと、外が雨であろうと、俺は竜ヶ峰の家に泊まりはせずにいつも深夜前には自分の家に帰っていた。

何故かというと、俺たちは付き合っていないからだ。男同士に付き合う付き合わないという概念が生まれえると考えること事態、珍しいことだ。もちろん俺もこの年になってみるまで考えもしなかった。

が、多分おそらく、竜ヶ峰は俺のことを好きだし、俺も竜ヶ峰がまぁ、好きだ。

俺の片思いならともかく、自分のことを好いている(と思われる)奴の部屋に泊まるのは、俺には少しハードルが高い。しかし俺も竜ヶ峰も、告白という一種の儀式に取りかかるのに抵抗があり、こんな状態が続いている。

今日も、俺は飯を食って、皿を洗って、テレビでも見たら、この四畳半から暇するつもりだった。しかし竜ヶ峰は俺に寝ることを望んでいる。どういうつもりかはやっぱりわからないが、特に断る理由もないので、俺は目を閉じてじっとする。

睡眠薬が効いたわけではないだろうが、竜ヶ峰が皿を洗う生活音は耳障り良く、俺は案外すぐに寝入った。



「静雄さん」
「…おう」

声をかけられ、俺は簡単に覚醒した。明るい場所で寝たからか、瞼の裏が酷く光焼けしていた。傷ついたフィルムみたいな視界の中に、竜ヶ峰がいた。俺は寝て崩れかけていた姿勢を正座りなおした。その際、じゃら、と耳慣れない音と、首に違和感を感じた。

「何だこれ」
「首、きついですか?」
「あー、いや、ぴったりだ」

自分の首に、皮製の物が巻きついている。どうやら、犬につけるようなベルト状の首輪のようだ。窓ガラスに映して確認すると、金属のつなぎ目が溶接されていて、外れないようになっている。

そしてそのベルトから、太めの鎖が伸びており、四畳半の部屋の隅の柱の一角に随分でかい銀色の釘で打ち付けられていた。じゃらじゃらと揺らすそれは、数メートル分の長さがあり、この狭い四畳半なら鎖がついたままでも歩き回れそうだ。

「静雄さんって、皮製品のアレルギーって無いですよね?」
「ああ、無い」
「良かった」

竜ヶ峰がほっとしたように笑う。竜ヶ峰が笑うので、俺も自然頬が緩む。で、何なんだよ、とからかい半分で鎖を揺らしてみる。すると、炊飯器を買い替えようと思ってるんです、みたいな口調で、竜ヶ峰は言う。少し噛んでいた。

「静雄さんをかんく…監禁しようと思ってるんです」
「かん…」
「監禁です」
「そうか…ところでトイレ借りていいか」
「あ、どうぞ」

俺は鎖を引きずって、トイレへ向かう。この部屋での生活動線はきちんと計算されているようで、トイレに行っても鎖がひっかかったりすることは無かった。しかし、歩くたびやけに音がするのと、鎖が床を傷つけそうだなということは気になった。

トイレで用を足した後、ついでに風呂を洗っておく。鎖を引いたまま入ることでも想定しているのか、浴槽周辺でも鎖は余裕がある。風呂を洗い終え、部屋に戻る。玄関が視界に入った。が、俺は帰らずに、座っている竜ヶ峰の横に腰を下ろした。

「で、具体的に、監禁って何だ」
「えっと…とりあえず、帰っちゃダメです。監禁なので」
「おう。この鎖と首輪は?」
「その鎖が届く範囲でのみ動いて大丈夫です」

ただの雰囲気のための小道具かと思いきや、どうやらこれが俺に許された行動範囲らしい。せいぜい玄関を出て数歩、宅急便の受け取りぐらいしかできそうにない。

俺は柱に打ち込まれた太い銀色の釘と、繋がれた鎖を見る。確かにあまり見ない、丈夫そうな鎖と釘だが、多分引き抜くことは可能だ。しかしその際、このボロアパートごと倒壊しそうなので、試すことは出来ない。

考え事をしていると、座っていた竜ヶ峰が、少し距離を詰めた。そして、控えめに俺に抱きつく。俺は思わずビクついて、俺のビクつきを鎖が揺れる音が如実に表しやがった。

「帰っちゃダメですからね」
「あー…わかった」

俺は竜ヶ峰と付き合っていない。付き合っていないから、この家に泊まる理由も持ち合わせていない。しかし監禁されていれば仕方ない。監禁されているんだから、帰らなくていいし、帰ってはいけない。

時刻はもうとっくに21時を過ぎていた。普段なら池袋の街を歩いて帰っている時間帯だが、俺は帰らない。ハードルも、告白という一種の儀式をすっとばして、俺は竜ヶ峰に監禁された。恐ろしく居心地がいい。

監禁されているんだから仕方ない。その言い訳の言葉は、最強のように思えた。印籠みたいだ。泊まる理由は無いが、帰らない理由はある。俺は竜ヶ峰を抱きしめ返した。細っこい体は女より骨の感触が目立つ、でもその角ばった手触りが、どんなAVより風俗よりエロいと思った。

制服の裾から手を差し入れて、竜ヶ峰の背骨をなぞると、竜ヶ峰が慌てた。そういうのはまだ、ちょっと、早いです。と言って、俺の手を服から引き出して、握る。竜ヶ峰の薄い手の平が熱い。

(ちょっとってことは、このまま監禁されてりゃ、いつかはいいのか…)

俺は従順な犬みたいに竜ヶ峰の前に座って、細い体を抱きしめた。俺が動くたびに、じゃらりと鎖が鳴る。少し耳障りだが、そのうち生活音となって慣れるだろう。監禁万歳、と俺は心中でひとりごちた。