*01

臨也さんに、監禁される運びとなった。さしあたり麻縄が僕の手にかけられる。囚人を繋ぐロープみたいな結び方で、臨也さんが僕の手首に縄を結う。その手つきが器用で、僕は思わず見惚れた。

「はい、できあがり。これでちょっとやそっとじゃ解けないよ」
「そうなんですか」
「うん、でもたかが縄だし、噛み千切るくらいのファイトを見せて欲しいな」
「僕、固いもの苦手なんです」

帝人君は現代っ子だね、と臨也さんがくすくす笑い、僕もつられて少し笑った。

監禁場所は、臨也さんの自宅兼事務所だ。基本的には臨也さんの寝室に閉じ込められている。移動も行動も制限されるため、正直寝るくらいしかやることがない。ここに来てから、一日の大半を睡眠に費やしてしまっている。

窮屈な部屋の中で、手も縛られているため特に運動をしない。そのため、体の筋肉がすぐに強張る。寝起きは軽く体をよじってストレッチをしないといけないくらいだ。

今日も今日とて、睡眠過多な僕は朝がひと段落した時間帯に、ようやく目を覚ました。ベッドサイドに置きっぱなしの縄の余りに絡むような形で、臨也さんの高そうな腕時計が放り出してある。その盤面を覗いて、今が9時を少し過ぎた頃合であることを知る。

僕を監禁している臨也さんはといえば、どうやら事務所で仕事をしているようだ。電話で何かを話す声が聞こえる。僕はベッドから起き上がらないまま、その声を聞く。寝ている間に、きつく両手を縄で縛られている手が痺れていた。腕の方向を固定されているため、血のめぐりも悪い。

「(このまま続けると、骨が変形したりするのかな)」

監禁という言葉の響きに惹かれた。同時に、臨也さんのことがそれなりにというか、その、かなり好きだったため、僕は大人しく彼に両手首を差し出した。合意の上での監禁生活をこうして過ごしているけど、もしかしたらこの行為が僕の人生に暗い影を落とすかもしれない。

そんなことを考えていると、コンコン、とドアをノックされた。返事をすると、朝食らしいものを乗せたトレイを片手に、臨也さんが現れる。そうして、僕が横たわるベッドに腰をつけて、トレイを僕の前に差し出した。

トレイの上には、ほかほかと湯気をのぼらせるフレンチトーストが二枚、薄い水色の皿に乗せてある。臨也さんがフォークで軽く裂くと、トースト生地に染み込んでいた半熟の卵がじゅわっと水色の皿に漏れ出す。シーツの上に降る朝の光と、ベッドから見上げた臨也さんの姿を見て、僕はつい笑ってしまった。

「洋画みたいですね」

昔の洋画には、寝起きのヒロインがいるベッドまで朝食を運んできてくれる男性がいる、というイメージがある。寝たまま笑う僕の頬に、臨也さんが覆いかぶさるようにしてキスをした。僕は手を縛り上げられたまま、頬を赤くする。

「え、何ですか?」
「おはようのキス。洋画みたいだろ?」

悪戯っぽい表情で、臨也さんが答えた。そして僕に食器を触らせることもなく、臨也さんが先端にフレンチトーストの欠片を刺したフォークを向けてきた。「ほら、食べなよ」と僕の唇をつつく。僕は寝たまま、行儀悪くそれを食べた。バターと半熟の卵の混ざったものを口の端から零してしまって、怒られるかと思ったら、臨也さんが笑いながら服の袖で僕の口元を拭った。


*02

狭くは無い湯船に、なみなみとお湯が注がれている。ざあざあとかけ流しのお湯が、清潔そうなタイルを濡らしている。

「ぬるくない?」
「ちょうどいいですよ」

僕が言うと、そうかなあ、と腕まくりした臨也さんが湯船に手を浸した。そして結局、お湯を足す。熱湯風呂にでもするのかと思いきや、少し熱めの江戸っ子温度くらいで蛇口は閉められた。一人きり浴槽に入れられた僕は、両肩をお湯に沈める。僕の両手の縄は、水に浸かると少し重く感じた。

お湯加減の調節の次は、臨也さんは石鹸で泡を作っていた。洗い場にいる臨也さんは、服を着ている。

「臨也さんは、入らないんですか?」

僕が聞くと、臨也さんはそのうちね、と言うだけだった。自分がお風呂に入っているのに、横にいる人が服を着ているっていうのは、不思議な光景だった。

しばらくして、臨也さんはゆだりそうになった僕をお湯から引き上げる。いわゆるお姫様だっこで、服がお湯に濡れるのも構わず、僕を洗い場に座らせる。それから大量の泡で、僕の体中を洗った。座り込んだ僕が、臨也さんに泡まみれにされていく姿を鏡越しに見る。やっぱり不思議な光景だった。

「なんだか、おじいちゃんになったような気分です」
「は?」
「臨也さん、介護のヘルパーさんみたいですよ」

最後に背中をお湯で流されて、僕が纏っていた泡が流される。

「おじいちゃんねえ。赤ちゃんじゃなくて?」
「それなら臨也さん、良いパパになりますね」

またお姫様だっこで、浴槽に戻される。腕まくりの意味がないくらいに、彼の服の袖は濡れていた。

「アカスリもしようか?」
「それは介護ですよ、やっぱり」

随分とサービスのいい監禁ですね、と僕が笑うと、臨也さんもおかしそうに笑った。二人の小さい笑い声が、浴室のタイルに反響した。


*03

ある日、「平和は堕落だよ、帝人君」と臨也さんが言った。足を臨也さんに向けて放り出し、ベッドの上で堕落しきった僕に向かって、臨也さんは言った。臨也さんはこの監禁生活に、平和ではなく波乱を望んでいるのかもしれない。そもそも監禁という言葉自体が、平和にはほど遠いもののはずなんだ。

「堕落ですか」
「堕落だよ」

臨也さんが掴んでいた僕の右足を離して、左足を持ち上げた。堕落している僕は何の抵抗もなくそれを受け入れる。臨也さんが爪きりでぱちん、ぱちん、とゆっくりと僕の足の爪を切っていく。縛られた両手の爪は、爪ヤスリで丁寧に磨かれた。手の爪も爪切りでいいんじゃないかなと僕は思う。

十の足の爪をまるく切りそろえて、臨也さんは僕の足を離した。

「緊張感が無いんだよね。監禁してるのに、堕落してる」

それはあなたが僕の世話に手をかけてくれて、両手も使えないのに随分と快適に過ごせているからだとか、じゃあ監禁する側らしくもっとなんかこう非人道的な振る舞いでもしてみせて欲しいだとか、朝昼晩と至れり尽くせりでまるで執事でも雇ったみたいだとか、こんなにかいがいしくて家庭的な面もあるんだとかちょっと意外だったとか、そういう諸々は全て脇において、僕はおそるおそる聞いてみた。

「臨也さんは、楽しくないですか?」

僕の質問に、臨也さんは驚いたようだった。それから俯いて、くすくす笑う。

「楽しいよ。楽しくなきゃ、こんなことしないさ」

臨也さんが、切ったばかりの僕の足の爪を指でいじった。やみつきになりそうだよ、と臨也さんは僕に微笑んだ。

臨也さんが手を伸ばす。彼の磨かれた指先は仰向けになっている僕の頭上を通り越して、ベッドサイドに届いた。何かを手に取った臨也さんの手が、また僕の頭上を動く。ガシャン、と何か落ちる音がした。首をひねってベッドサイドの方を見ると、あの高そうな腕時計がない。床に落ちたのだろうか。

「堕落もたまにはいいのかもしれないね。君限定だけど」

話しかけられたのか独り言なのかわからない臨也さんの言葉に、視線を彼に戻す。臨也さんは手に、縄を持っていた。僕の両手を縛ったときに余ったものだ。

「帝人君は、楽しいのかい?」

また、臨也さんが僕の足の爪をいじる。しかしそこで終わらず、彼の手は僕の足の甲、くるぶし、と伝っていく。その手つきがびっくりするほどなまなましかった。彼にお風呂に入れられた時でさえ、そんな様子も空気も一切なかったのに。

「楽しいですよ」

僕の返事と同時に、臨也さんが僕の足首を掴んだ。少し痛いくらいの力だ。そうしていつかと同じように、囚人を繋ぐロープみたいな結び方で、臨也さんが僕の足首に縄を結う。その手つきが器用で、僕はやはり見惚れた。

「そう。じゃあ、もっと堕落してみようか」

臨也さんがにっこり笑う。四肢を全て封じられた僕は、ただベッドの上に横たわる。そうして僕は、多分僕達のしてることは監禁といえるものではないんだろうな、と考え始めた。そう思うと、この合意の拘束がひどく、くすぐったく感じた。