誕生日プレゼントが欲しいと臨也さんが言うので、参考までに何が欲しいか訊ねてみた。僕が臨也さんの求めるものを用意できるかどうかは置いておいて、とりあえず希望だけでも伺おうと思ったからだ。
テンプレ回答なら、君が選んでくれたものなら何でも良いとかなんだけど、臨也さんは「何か約束が欲しい」と言った。
「約束って……どんな約束ですか?」
「それは君が決めてよ」
「浮気しませんとか?」
言ってから、誕生日にわざわざそんな約束をするのは駄目だなと思い直す。
臨也さんは「あえてそんな約束を俺に贈りたいというなら、俺は謹んでお受け取り致しますけど」と笑う。
約束ですか、と一言呟いて僕は考える。浮気をしません、が駄目なら、他の人を好きになりません、とか。いやこれも同じく駄目か。ケンカしたときはどんなに不合理でも先に謝ります、とか。
なんだかお祝いには似合わない約束ばかりが思い浮かぶ。多分、「約束」ってものが何かを縛り付けるような感じがするからだろう。しかも臨也さんの誕生日にする約束なんて、僕の性格的に破れそうにない。僕がこの先、守れる約束じゃないといけない。
「期待してるから。いやあ、誕生日が楽しみだなあ」
いつの間にか黙って考え込んでしまっていた僕の肩を叩いて、臨也さんがにっこり微笑んだ。
5月4日を控えて、僕は約束を決めかねていた。何が欲しいかなんて聞かなければよかった。街に出て、店頭に並んだ多くの商品から一つ選ぶ方がずっと気楽だ。
約束は、実体が無い。色も形も無くて、ただ当人同士の間にしか存在しない。それだって、どちらかが忘れればそれまでだ。約束は、物じゃない。行動だ。私はこうします、という意志であって、感情であって、傷つかないけど壊れるし、放っておけば風化する。
インターネットのポータルサイトの検索画面で「恋人 約束」とか「約束 誕生日」というキーワードでヒントを探すけど、出てくるのは恋人が約束を破ったとかそういったことばかりだった。
どうせ贈るのだから、守れる約束じゃないといけない。そう思うと、先日挙げた「他の人を好きにならない」も「ケンカのときに先に謝る」も、両方守れそうにないなと思う。浮気の方は置いとくとして。
僕は今、きちんと臨也さんのことが好きだ。だからこうして誕生日プレゼントに頭を悩ませている。だけど同時に、この関係が長く続くとはあまり思っていない。今すぐに別れるとかそういう兆候があるわけじゃないし、至って順調なつもりではある。
一方で僕と臨也さんの生活が、このまま同じ線に沿って進むとも思っていない。悲観しているわけじゃなくて、どこかで乗り換え駅があるんだろう、という漠然とした感覚だ。その乗り換えがいつなのかもわからないし、できるならなるべく臨也さんと居たいという気持ちもある。だって好きだから。
それでも時がくれば僕は臨也さん以外の人を好きになって、臨也さんも他の人と結婚なんかをして、そうしていつか臨也さんのことを懐かしく思ったりするんじゃないかなあ、という気がする。別にこれは僕が思っているだけで、臨也さんはこのまま僕と連れ添って生きるつもりかもしれない。限りなく考えにくいけど。
その乗り換えの後にも、約束は有効じゃないといけない気がする。約束は実体が無い。だから物として後に残らない。それでもきっと臨也さんは僕が贈った約束を忘れない。長い時間が経てば約束は少しは歪むかもしれない。でも忘れないはずだ。そういう人だから。
携帯のカレンダー機能で5月4日を表示する。みどりの日。ゴールデンウィークのうちの一日。国民の祝日。それは来年も再来年も変わらない。来年の僕もおそらくその日を休日として過ごしていることだろう。でも来年のその一日に、僕は何をしているだろうか。
すう、と考えが降りて、僕は携帯の画面を閉じた。
5月4日当日、臨也さんから所用で東京から離れていると電話で伝えられた。距離的に今日中に東京に戻ることは無理だと、悪びれもせず彼は言う。プレゼントとして約束を要求されたその誕生日に、会う約束を反故にされた僕は呆れるような納得したような、そんな気持ちで仕方なく笑う。
別にケーキを用意していたわけでもなく、手ぶらで会いに行くつもりだったわけだから何がどうということもない。じゃあ誕生日のお祝いはまた今度ですね、と僕が言うと、電話口から「それは今日欲しい」と催促された。
『用意はしてくれたんだろ?』
「まあ、はい」
『電話で構わない内容なら、是非とも今日受け取りたいな。これでも俺は凄く楽しみにしていたんだ』
「電話で構う内容ってどんなですか?」
『エロいやつとか……』
「あ、そういうのではないです」
臨也さんが少し残念そうな息を吐いたのが、電話越しになんとなくわかった。ご期待に添えなくて申し訳ありませんね、と形だけ謝って、二人で笑った。
『で、帝人君は俺に何を約束してくれるのかな』
「……臨也さん、お誕生日おめでとうございます」
『? うん』
「嬉しいですか?」
『そりゃあ、帝人君から祝われれば嬉しいさ』
「良かった。それなら、僕は来年も再来年も変わらず臨也さんの誕生日を祝うって、約束します」
『毎年?』
「はい」
それって、これから先ずっと俺と恋人で居続けるって約束するってことかい、と臨也さんが訊ねる。
確認の意味合いだろうけど、その臨也さんの声色にほんの少し驚きが混じっているのが少し寂しかった。やっぱり臨也さんも僕と同じことを考えている。もしかしたら臨也さんからは、僕たちの乗り換え地点がもう見えているのかもしれない。
恋人で居続けることについて「それは約束できません」と返すと、臨也さんが一度言葉を止めた。
「僕は、毎年臨也さんの誕生日を祝うことを約束します」
そのとき僕が貴方に会えない場所に居ても、僕と貴方が恋人じゃなくなっていても、僕に違う恋人が居ても貴方の誕生日を祝います、と一息に続けても、臨也さんは言葉を止めたままでいた。
「臨也さんに直接会っておめでとうって言ったり、プレゼントを贈ることが無理な場合でも……ケーキを買って一人ででもお祝いします」
『パソコンに俺の写真を全画面表示して、その前にいざや君誕生日おめでとうって書いたプレートを乗せたバースデーケーキを置いて一人で……?』
「それ、狩沢さんと遊馬崎さんがアニメキャラを祝うときのやつじゃないですか」
突っ込むと、臨也さんが笑う。楽しげなその声に安堵していると、笑いを含めた声のままで臨也さんが問う。
『ねえ帝人君、俺が君の恨みを買っても祝ってくれるのかな』
そんな予定あるんですか、とかそんなことしてやがるんですかなんて聞いてもはぐらかされるだけだ。人間を愛しすぎてちょっと頭が緩んでいると噂の臨也さんが、僕に対してだけ優しく誠実であるはずがない。だからきっとそういうことも起こり得る。
「それでも祝いますよ。僕が貴方を憎んでも嫌っても。これから先一生、お誕生日だけは、僕が生きている限りずっと」
臨也さんのことが憎くて、殺してやるって思うほどの感情を持つようになっても、それでもきっと僕は心のどこかで憎みきれない。だって好きだからだ。だからこの約束は不可能じゃない。一年のうち364日臨也さんの死を願うようになっても、5月4日だけは臨也さんが生まれたことを祝いたい。
いつかの5月4日に僕に別な恋人がいても、誕生日を迎えるごとにきっと臨也さんを思い出して、会いたくなってしまう気がする。同時にどんなに新しい恋を覚えても、彼の誕生日になれば僕の感情は今日のように元通りになっているかもしれなくて、それが少し怖いかなとは思う。
『約束だよ』
電話口の向うで臨也さんの声がする。
『約束だよ。君は俺が生まれたことを、一生肯定し続けるんだ』
その声はひどく嬉しげで、久しぶりに聞く弾んだ声だった。僕は、ただ今日この声を聞くためだけに、この先の僕のすべての5月4日が彼に支配されても、それは構わないと十分に思えた。